HOME > CHIKIRIYA Brand案内1_about_chikiriyaAbout CHIKIRIYA






『History of CHIKIRYA』
 〜ちきりやの歴史〜

CHIKIRIYAブランド設立:1997年




『CHIKIRIYA-ちきりや-』 が誕生したのは、
1997年の冬が明け、春風が吹く季節のことでした。

原点は、一枚の白い布でした。



振り返ると、全ては『縁・ご縁』なのでしょう。

絵師が、江戸時代のころの絵師という存在にインスピレーションを受け、
その時代背景と同様に手仕事で、ただ「人に喜んで頂きたい」といろいろなものに、
絵を描きはじめたのがきっかけです。

そこから、ご縁が人を呼び、いつしかモノをつくって頂ける職人さんや
それを販売して紹介したいという人が集まってきました。

その人と人をつなぐ、契りのようなものを『ちきりや』と名付け、
Tシャツをはじめとする洋服を中心に商品を販売させて頂けるようになりました。

その後、日本に住む人々へのごくごく近い人への発信でしたが、
ご縁があり、西の都パリ、フランスでの展示会への出展の機会を頂きました。



そこで、日本では有名なセレクトショップの先駆け且つ重鎮である『BEAMS/ビームス』との
ご縁を得ることになりました。

絵師による手描き龍のTシャツなど、インパクトがあり、ディープであり、衝撃的なのに、
人のぬくもりが感じられるそんな独特のCHIKIRIYAの世界観とデザインを
BEAMS/ビームスで、世間の多くの皆様に商品を見て頂けるまたとないチャンスが巡ってきたのです。

当時は、このようなテイストのブランドどころか和柄ブランドという定義もありませんでした。

CHIKIRIYAは、和というものを大事にしているブランドではありますが、
ただ単に和柄ブランドというひとつのカテゴリーや概念ではありません。

商品や絵などを通じ、昔の日本や江戸の文化と当時の日本人の「粋」を
「心」を紹介したいと考えております。


その後、有名セレクトショップとのお取り引きをきっかけとして、
全国の個性的な洋服や雑貨を取り扱う専門店様とお付き合いができるようになり、
そのおかげで、私共の『CHIKIRIYA』ブランドも少しづつ認知して頂けるようになりました。

さらには、有名デザイナーズブランドの『TK』(TAKEO KIKUCHI/タケオ キクチ)との
コラボレーションでスカジャンや手描きTシャツを発表しました。


それから、CHIKIRIYA~ちきりやのスカジャンは、ちきりやのファン、
アメカジファンならずともファッション業界をはじめとするデザイナーや
クリエイターの方々から高い評価を頂くようになりました。

その結果、スカジャンは、今やCHIKIRIYAの顔とも言える商品のひとつとなり、
更に、多くのお客様にCHIKIRIYAファンになって頂くとともに、
繋がりと絆をもつことができました。


これらが、CHIKIRIYA~ちきりやの財産であり、これかも喜んでいただけるような商品や
作品を発表していくのが私達の務めだと思っております。


そして、それから、アパレル製品では、デニムジーンズ、アウタージャケット、
小物雑貨へと商品を広く展開しました。


現在では、昔ながらの注染手拭いつかい、
手仕事での手拭いシャツなど、和と歴史、
そして、その商品がもつ今現代における特性を皆様に知って頂きたく、
販売をさせて頂いております。

さらに、革職人との完全手作業の手描き鞄や
贅沢なシルバーアクセサリーも実現していきます。

絵師の描くものは、時代により違いますが、
江戸時代の粋と日本の粋をちきりやという枠で
商品開発を続けております。


最後に、10数年にもよるブランドの歴史からか、
特に、ちきりやの兎の柄が好評を得ております。

現在、その兎と一緒に私達も遅れないように
一生懸命走り続けたいと思っています。

CHIKIRIYA~ちきりや~というものを通して、
人と人、皆様とのつながりをこれからも大事にしていきたい。
そう願いものづくりに励んでおります。


いつもありがとうございます。

心よりお礼申し上げます。



ちきりやの世界観


『ちきりやの世界観について』


江戸時代の浮世絵の世界でいえば、
絵師(マスダ マチコ)と、版元(ちきり屋)という関係です。



版元(ちきり屋)は、絵師のために企画したり、
絵を売りさばくというのがその役割です。

ちきりやというブランド名ではありますが、
版元の名前であります。

絵師(マスダ)は、商売になる絵を描く役目です。

というものの商売になるとは、
世の中の人々に喜ばれるもの
日々の生活が楽しくなるような
何かでないといけません。

ちきりやのトレードマークの3つの菱形が合わさったものは、
当時「ちきり紋」と呼ばれており、
生地を織る機織の機械の部分の形をかたどりました。

このトレードマークのブランドロゴの形が表すように、
3つあるいは2つのものが結ばれること、
何かと何か繋がる相関関係を示し、
そういう存在であることを、
基本理念としております。

昔と今、東と西、和と洋、
作る者と使う者、
そして、売る者が結ばれて、
「契る(ちぎる)」「ちきる」ことを
生まれるものを作っていくことに重ねてつけた名前です。

そして、たまたま江戸時代の流行柄をモチーフに
Tシャツを中心としたアートづくりから、
服づくり、その身の回りの服飾雑貨や小物づくりへと進み、
現在に至っております。


ちきりやの時代観と願い




『ちきりやの時代観と私達の願い』



なぜ江戸時代なのか?
というご質問を頂くことがございます。


江戸時代は、現在に通じる多くの楽しみの庶民の遊びのルーツが
大きく花開いた時期であります。

士農工商という制度がありましたが、
それ以外は、とても自由な世界でした。

好きなことを、その日の気分のままに
表現し、かぶき(歌舞伎)、そんな時代だったのです。
そんな中で、武士道という観念も成熟した時代でした。

今と違い平均寿命も違い、
人生太く、短くではありませんが、
江戸という場所とそこに集う人々が
一生懸命生きた文化や風土が好きだからです。

四季折々の花や虫達、
四季にあわせたお酒や芸のたしなみ、
土地や地域毎の自然への信仰、

春の花見、夏の七夕、秋にかけての祭り、十五夜、
冬の大晦日とお正月などなど、、。

数え上げたらきりがないくらいの
自然と地域、気候に根ざした数々の信仰からなる行事がありました。

流行と産業の発達の関係が密接だったため、
江戸時代の織物と染色技術の発達は
異常だったともいわれているようです。

それに伴い、文芸や遊びも発達し、
多くの商売と職業が生まれ、
町芸人や歌舞伎役者、人情本という小説の
ヒロイン達をリーダーにして、流行が生まれました。

それに応えて、
浮世絵師達がデザインに、
職人達が技術に腕をふるっていた時代でした。

そして、日本の柄紋様は、発展しました。

そういったことを、
ちきりやというものを通して、
皆さまにご紹介したいと思うのです。

たまたま、江戸であり、明治も大正も
すごい発見がたくさんあります。
江戸の粋だけでなく、
日本の粋をこれからの時代に
発信し、残していきたいです。

現代版の浮世絵として、
世の中を元気にできるようなちきりやを
これからも発信していきたいと思います。

それを通して、
今、繋がって頂いている皆さまと
これから繋がる皆さまをつなぐ、
そんな『CHIKIRIYA~ちきりや~』になりたい。

未来につなげたい。日本の和のこころを。

そう心から願っております。